書籍の紹介
「雑念であふれた頭をリセットし、研ぎ澄まされた感性と穏やかなこころを取り戻す。日常の中でできるマインドフルネス」
今、SOJIが熱い!
世界が注目する日本の掃除を世界で活躍する僧侶が説く!
仏道での掃除とは個人の内面を磨くだけでなく、私たちの暮らす世界を磨く行為である。
掃除をとおして、世界とどのように繋がっていくのか。
誰もが日常的に行う作業を、仏道の修行と捉えることで、「良い習慣」を身に付けることができる。
掃除が教えてくれる、人生で大切なことを学んでみましょう。
(要約)15個の抜粋ポイント
掃除というのは、日常の中にある修行のひとつの象徴です。日常生活そのものをすべて修行に変えていくことができる。何をしていても、修行に生きることができる。そのことを知るのに、掃除という日常的な行為は、もっともよい機会になると思います。
小学校で先生と生徒が一緒になって掃除をすることを日本人は当たり前のように思っていますが、海外の多くの国ではそれは専門業者の仕事になっています。掃除や給食の配膳といった生活の基本的なことを生徒が学び行う日本の教育は、世界で注目されているようです。
お寺に限らず、会社でも自宅でも、そこを自分で丁寧に掃除するということは、その場所とつながる行為です。掃除をした場所は私の安心できる居場所となり、自分自身の身体の空間が広がった感覚が養われます。
修行中の僧侶は、生活に必要な物しか持ちません。モノを持たない身軽で自由な生活を心がけていると、気がつくことがあります。それは、持ち物たちは、「良いもの」ばかりが手元に残るということです。素朴でありながら、機能性が高く、人の手によって手間暇かけて生み出された、心のこもった価値ある逸品。そういったものが、最後に手元に残ります。
あるべきものをあるべきように置くには、ものが収まるべきところ、つまり部屋という空間のことも、知り抜かなくてはなりません。毎日掃除を繰り返し、まるでその空間が自分の身体の一部であるかのように感じられて、やっと一人前です。
掃除に終わりはない。こころも同じです。きれいに磨きあげたと思った瞬間から、汚れが積もりはじめます。過去への執着や未来への不安で頭がいっぱいになり「今」という瞬間から心がはなれてしまいます。だからこそ、我々は床磨きに全力を注ぎます。屋外の掃き掃除と比べて、屋内の床磨きは、より集中力の高まる瞑想のような効果をもたらしてくれます。
掃除には「敵」も「目的」もありません。自分自身の「今、ここ」に集中し、日々の仕事でクセになってしまった競争心や虚栄心は、落ち葉とともに掃き捨てること。それもまた、掃除という良き習慣がもたらしてくれる効果です。
あらゆる物事に完璧はありません。完璧主義になると、理想と現実が大きくずれて、ちょっとしたことで燃え尽きてしまう危険が高まります。そうなると、生きづらさが増すでしょう。完璧を目指すのではなく、自分なりの基準をつくることで、「これでいいのだ」という満足した生き方ができるのです。
掃除は私に、「誰にも代わってもらうことのできないことを、あなたは生活の中で行っていますか?そのような人生を生きていますか?」と問いかけてくれているような気がします。なにものにも依存しないというのは、どういうことか。掃除があなたに問いかけています。
私たち人間は習慣によってつくられる生き物です。行動の仕方、言葉の使い方、考え方、どれも幼いころから少しずつ繰り返し繰り返し自分の習慣として身につけていくものです。良き習慣を身につけていれば、心身が整い人生が整います。
「正しい言葉・行い・生活という習慣を保ち、正しく気づきと集中を保つよう努め励む」ことにより、「正しく物事を見て、考える智慧が生まれる」
仏教では亡くなられた方と残された配偶者との、新たな関係性を結びなおすために、お葬式や法事という習慣をつくるのだと思います。生活も人の死も習慣にすることで、苦しみを解放していく営みなのではないでしょうか。
現代は、将来への不安が広がり、お年寄りも若者も身動きがとれなくなっています。貧富の差が広がって、社会は分断されつつあります。こういう時代だからこそ、何の不安もなく、そのままの自分で安心していられて、恐れずに勇気をもって歩んでいけるこころを、お互いに布施しあうことが大事ではないでしょうか。
仕事とは異なり、修行としての掃除は何時間やったからいくらもらえるというものではありません。掃除という行為そのものに価値があります。ですから私が私として、そこにいることが許されるという感覚が得られます。
私たちのこころのちりが完全に消えることは、これからもきっとないでしょう。生きている限り、ちりは積もり続けます。ちりが積もってくれなければ、掃除に張り合いも出ないというもの。積もるちりに感謝して、今日も掃除に精を出しましょう。
(実践)3個の行動ポイント
- 無心で家の床を磨く
- 一日のスタートを掃除からはじめる
- 週に一回は墓掃除をする
感想・まとめ
私たちが普段何気なく行っている掃除。
やってもやっても終わりのない、できればやりたくないこと。
この掃除を人生の修行と捉え、丁寧に集中して作業することで、掃除をすること自体に価値が生まれる。
たとえうまくできなくても、完璧じゃなくても「これで良い」と思える安心感。
集中力が高まり、感性が研ぎ澄まされる感覚。
まさにマインドフルネスである。
修行というと、辛く厳しいもののようにイメージしてしまうかもしれない。
しかし、修行という良い習慣を身に付けることでしか、人間の魂を磨く方法はないのではないだろうか?
素晴らしい思想・美しい想いを頭で思考するだけでは、世界は変わらない。
無心で掃除をすることで、内面が磨かれていく。
まずは、行動することから、人格は磨かれていくのだろう。
私も、こころをこめて掃除することからはじめてみようと思う。
本日の書籍情報
【書籍名】こころを磨く SOJIの習慣 【著者名】松本紹圭 Shoukei Matumoto
【出版社】ディスカバー・トゥエンティワン
【出版日】2019-7-20
【オススメ度】★★★★★
【こんな時に】日常の掃除・こころを磨く
【キーワード】掃除・修行・マインドフルネス・習慣
【頁 数】191
【目 次】
はじめに
第一章 なぜ掃除なのか
第二章 日日の掃除
第三章 掃除が教えてくれる人生で大切なこと
第四章 仏道と掃除
第五章 掃除はお寺と社会をつなぐ
松本紹圭さん 素敵な本をありがとうございます。
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