父ちゃんみたいになりたいなぁ

エッセイ

2月19日 午前8時23分 父が永眠した

いちどは入院したものの、どうしても自分で家に帰ると言って、自宅療養していた。

目まぐるしく看護の準備や介護をしていた母。

そんななか体調が急変。

朝6時。母からの電話で家族全員が父ちゃんのもとにあつまった。

最期の時間は、離れて暮らす長女や孫たちと、ビデオ通話で父ちゃんの様子を見守っていた。

家族みんなに囲まれて、手を握ったまま。

声をかければ、うなずいて反応する。

ケータイで福岡にいる孫の顔を画像で見たとき、少し笑って声をだし、うなずいたのがわかった。

そして静かに人生に幕を閉じた。

「闘病生活もよく頑張ったね、お疲れ様。今までありがとう」と声をかけた。

暖和ケアスタッフの方と一緒に、髭剃りや体をきれいに拭き上げる。

それから葬儀の準備や火葬など、慌ただしく過ごしていた。

しかし、あまりにも父ちゃんの終活準備が良く、スムーズに段取りが進む。

それもまた、寂しさを助長させた。

父ちゃんからのリクエストで作ったアレンジ

とても長かったような、早かったような一週間。

家族みんな、心に穴が開いたような、脱力感がある。

悲しさ、せつなさ、寂しさ。

色々な感情がグルグルとループする。

実家に行けは、まだそこに父ちゃんがいるような気がする。

そのたびに「もういないのか」「もうあえないのか」って

小さく実感する。

この感情も、時間が癒してくれるのだろう。

葬儀でいただいた胡蝶蘭

家族に向けた父ちゃんの願い

闘病しながらも、終活をはじめて身辺整理に余念がなかった。

最期まできれい好きで整理好きな父ちゃんだった。

お気に入りの写真から自分で選んだ遺影。

穏やかな表情で微笑んでいる。

「葬儀はお金をかけずに、質素でいい。死んでまで見栄をはる意味はない。」

自分だったら、こんな風に自分の死を受け入れられるだろうか?

今はまだ、わからない。

家族や母ちゃんの負担を少しでも減らそうと、葬儀社から見積もりをとっていた。

みんなのことを思っての終活だったのだろう。

入院直前に家族で集まった際、父ちゃんが話した言葉がある。

「死は順番だから仕方がない。家族が仲良くしておけば、それでいい。」

父ちゃんの願いはそれだけだった。

私はこの言葉を胸に刻み込んだ。家族に対する、愛情に満ちたフレーズである。

のこされた母ちゃんを大事にしろ、きょうだいでケンカをするな、自分の家族を守れ。そんなメッセージだと思う。

自分の人生における、本当に大切なものがみえてきた気がする

「死」をもって、ものすごく大切なことを教えてくれた。

命の炎が静かに消える瞬間、私たち家族は、父ちゃんの愛情に包まれていた。

家族全員が感じ取っていた。優しく、あたたかく、穏やかに満たされた感覚。

こんな最期をプロデュースした父ちゃんは本当に偉大だと思う。

けっしてお金持ちでもないし、他人に自慢できるようなものは持っていなかった。

でも、たくさんの人に愛を与えることができる人だった。

葬儀後、三女と海を散歩

死は誰にでも必ず訪れる

頭ではわかっていても、身近な人の死ほど、受け入れるには時間がかかる。

お通夜、葬儀、初七日、四十九日、一回忌、三回忌、何度も法要を繰り返すことで、少しづつ受け入れていく。

供に養うと書いて供養。

このような儀式には、遺された遺族をいたわる意味もある。

これからしっかりと供養を繰り返していこう。

死をみつめることで、魂は磨かれる。

日々、一日一日をいとおしむように大切に生きたい。

ここまで読んで頂きありがとうございます。

ではまた・・・。

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